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神戸地方裁判所 昭和30年(レ)141号 判決 1956年10月03日

控訴人 黒川市治

被控訴人 小倉修次

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し神戸市生田区北長狭通四丁目一番地の一地上木造トタン葺平家建バラツク店舗一戸(別紙<省略>便所を含む図面斜線部分)を明渡し、かつ昭和二十九年四月一日より右明渡済に至るまで一カ月金六千円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は、金銭支払を命じる部分に限り、金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、主文第一、二項同旨及び訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする、との判決並に仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、正当事由の事情として、昭和三十年十一月末頃、主文第二項記載の本件店舗(以下「本件店舗」という。)に程近い満月市場が完成し、市場商人を募集していたので、控訴人は被控訴人に対し、右市場の店舗の敷金十五万円は控訴人において負担するから、同市場の店舗に移転して貰えないかと頼んだところが、被控訴人は、これを拒絶した。かりに、解約申入についての正当の事由がないとしても、控訴人は被控訴人に対し昭和三十年十二月二十日付内容証明郵便を以て、本件店舖の昭和二十九年四月分より昭和三十年十二月分までの一カ月金六千円の割合による延滞賃料合計金十二万六千円を同書面到達後五日以内に控訴人方に持参して支払うべき旨の催告をなし、該書面は即日被控訴人に到達した。ところが、被控訴人は右催告期間の満了する同月二十五日を経過しても、その支払をしないので、控訴人は同月二十六日付内容証明郵便を以て、本件賃貸借契約を解除する旨通知し、該書面は即日被控訴人に到達したから、本件契約は同日解除された。よつて控訴人は被控訴人に対し、本件店舗の明渡と昭和二十九年四月一日より右解除の昭和三十年十二月二十六日まで一カ月金六千円の割合による賃料、並に同月二十七日より右明渡済に至るまで右賃料相当額である一カ月金六千円の割合による損害金の支払を求めると述べ、被控訴人の主張事実を争うと述べ、被控訴代理人において、控訴人の右主張事実中、その主張のような賃料催告の内容証明郵便が、その主張の日、被控訴人に到達したこと及びその主張の日付の賃貸借契約解除の内容証明郵便が、その主張の日の夕刻被控訴人に到達したことは認めるが、その余は争う。控訴人のいう延滞賃料二十一カ月分を僅か五日以内に支払えとの催告は相当の期間を定めた催告とはいえないから、未だ解除権は発生していない。更に、(一)、控訴人のした右賃料催告は、本訴係属中に控訴人において賃貸借の存続を前提として、これを主張してなされたものであるが、一方控訴人は原審以来右賃貸借は昭和二十九年四月八日限り解約され存在しないものと主張して来たのであるから、賃料を請求するには、一応、控訴を取下げる等賃貸借を存続する意思のあることを明白にした後において、これをするのが信義則にかなう方法というべく、これをなさずにした前記催告は信義に反するものとして、その効力がない。(二)、然らずとしても、被控訴人は、昭和三十年十二月二十六日午後九時頃、控訴人に対し催告金額と同額面の小切手を持参して弁済のため提供したところ、控訴人は、契約解除後であることを理由として受領を拒絶したので、翌二十七日神戸地方法務局に現金で金十二万六千円を弁済供託したが、前記催告期間の末日にあたる同年十二月二十五日は日曜日であるから、右催告期間は翌二十六日を以て満了するものというべく、したがつて、被控訴人の弁済提供は、解除権の発生前の提供として有効にして、前記供託によつて弁済済である。したがつて控訴人の解除は効力がない。(三)、かりに催告期間が十二月二十五日を以て満了するとしても、前述のように被控訴人の小切手の提供は催告期間満了の翌日にして、社会通念上さしたる遅滞があつたものとは認められないにも拘らず、控訴人は被控訴人の右期日における債務不履行を奇貨として従来意図していた契約解除を強行するに至つたもので、その明渡請求権の行使は信義則に反し、かつ権利濫用で効力はないと述べた外は、いずれも、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

<証拠省略>

理由

成立に争のない甲第二号証によれば、控訴人は被控訴人に対し、昭和二十五年五月十六日、本件店舗を期間の定なく賃料一カ月金六千円、毎月末日翌月分前払、控訴人の要求あるときは何時でも即時明渡すと定めて賃貸(賃貸自体の存することは当事者間に争がない。)したことを認めることができる。しかしながら、右の何時でも要求あれば即時明渡す旨の特約だけでは、一時使用を目的とする賃貸借とはいいえず、その締結にあたり控訴人の妻が病気回復の暁は本件店舗で漬物屋を再開することを企図していた事情を被控訴人が了解していた旨の控訴人の主張にそう原審証人黒川郁子の証言、控訴人本人の供述、原審証人黒川千代の証言は被控訴人の原審における供述に照らし信用できない。したがつて、前記特約は借家人のため、その権利の安定を保障する借家法第二条第三条の規定に反する特約であつて、賃借人に不利なものであるから、同法第六条により、これをなさなかつたものと看做すべきである。

そこで、まず、控訴人の第一次の主張の当否について判断することとする。控訴人が被控訴人に対し昭和二十八年十月七日付内容証明郵便を以て、右賃貸借契約解約の申入をなし、同書面が同月八日被控訴人に到達したことは当事者間に争がない。よつて右解約申入につき正当の事由があるか、どうかについて考えてみると、原審証人河村巳吉、同黒川千代(一部)同黒川郁子(一部)、同高橋平吉の各証言及び控訴人本人供述(第一回)(一部)、検証の結果、並に当審証人黒川千代(一部)の証言を綜合すれば、控訴人は昭和二十二年から、本件店舗とその隣の控訴人所有店舗(現在、訴外安部が使用中)とを利用して漬物商を営んでいたが、妻千代が脊髄カリエスのため手不足となり、昭和二十五年春頃廃業したこと、控訴人方家族は控訴人夫婦と次女郁子の三人で、次女郁子は控訴人所有の家屋で店舗を構え、「スミレ」なる名称で洋裁店を営み、控訴人は、生田区役所の臨時雇として、一カ月七日間乃至十日間、多いときで二十日間位勤めているが、控訴人方の生計は、控訴人の右勤務による収入と本件店舗及びその隣接店舗の賃料一カ月合計金一万円と次女郁子の収入から一部補助をうけて維持していること、しかし、郁子は婚期もおくれており、その洋裁業による収入を結婚準備金にあてたいというところより、控訴人夫婦とのいさかいをすることもあつたこと、控訴人は妻の健康も回復したので、郁子よりの補助を受けることなしに生計を維持するために、本件店舗とその隣接店舗(前記のように訴外安部が使用している。)の明渡をえて、ここで漬物屋を再開し度いと考えていることを認めることができる。しかし、控訴人としては、子供の収入に頼り度くないという気持を抱くことはもつともなことではあるけれども、前記認定のように、郁子は控訴人所有の店舗を使用しているのであるから、その洋裁業による収入をすべて自己の結婚準備にあてるというのは、余りにもひとりよがりな考え方で、控訴人等が、郁子の収入のうち少くとも右店舗使用料程度のものを生計の一助にあてることはむしろ当然の事理というべく、しかして、これが収入を加えれば控訴人方の生活も、普通程度に維持されることを窺うに足る。そうすると、控訴人が漬物屋を再開し度いというのは、結局、生活をより以上に豊かにし度いという考えに出るものと推測するに難くない。而も、漬物屋を営むには、本件店舗とその隣接店舗とを是非とも必要とするものであること前顕黒川千代の証言及び控訴人本人の供述により認められるところ、右隣接店舗は前記のように訴外安部が使用しており、かつ又、控訴人が漬物屋をしていたのは終戦後四、五年にすぎない点から、しいて二軒の店舗を必要とする漬物屋によらなければならないことはないといわねばならない。以上の認定に反する原審証人黒川千代、同黒川郁子、の証言及び控訴人本人の供述(第一回)及び当審証人黒川千代の証言は弁論の全趣旨に照し、たやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

これに反し、被控訴人側の事情は、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人方家族は八名にして、神戸市内の別の場所に居住しているが、その居住家屋は裏通りに面し、商売に適せず、而も二畳、六畳、四畳半の三間しかなく狭隘であること、被控訴人は、本件店舗賃借と共に、同店舗で魚屋を営み、現在店員二名を雇入れて、被控訴人は妻及び長男と共にこれに従事しているが、開店以来、辛苦を重ねた上、漸く営業の地歩を固めるに至つたものであるところ、本件店舗を明渡して他に営業を営むべき適当な場所もなく、又移転するにおいては折角数年に亘つて築いた信用と顧客を失い、多大の損害を被るおそれあることを認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。もつとも、当審における証人黒川千代の証言(一部)及び被控訴人本人(一部)の供述にあると、控訴人は、昭和三十年十一月末頃被控訴人に対し、被控訴人方より程遠くない満月市場内の店舖に移転を求めたが、被控訴としては、控訴人のいう店舖は市場内の奥の方にあり、又本件店舖に比し狭隘である上に家賃も高く、場所的にも営業上著しく不利であつたので、これを断わつたことを認めることができる。控訴人がその主張のような金十五万円の敷金を負担するとの申出をしたとの点についてはこれに副う当審証人黒川千代の証言は、被控訴人本人の供述に比照し、たやすく信用できない。

以上認定の当事者双方の事情を比較考量すると、被控訴人が本件店舗を明渡すことによつて受ける苦痛は、控訴人が明渡を受けえられないことによる苦痛よりも大であるというべきであるから、控訴人が本件店舗の明渡を求めるにつき「正当の事由」がなく、したがつて、控訴人のなした前記解約の申入は効力がない。よつて、控訴人の第一次の主張は採用し難い。

すすんで、控訴人の第二次の主張の当否につき判断することとする。控訴人が被控訴人に対し昭和三十年十二月二十日付内容証明郵便を以て、本件店舗の昭和二十九年四月分より昭和三十年十二月分までの一カ月金六千円の割合による未払家賃金合計金十二万六千円を同書面到達後五日以内に控訴人方に持参して支払うべき旨の催告をなし、該書面が同日被控訴人に到達したこと及び控訴人が被控訴人に対し同月二十六日付内容証明郵便を以て、本件賃貸借契約を解除する旨通知し、該書面が同日夕刻被控訴人に到達したことは当事者間に争がない。しかして、右催告に定めた五日の期間はその金額及び前記認定の被控訴人の営業状態に照らしても、相当というべきである。

そこで、まず被控訴人の(一)の主張につき考えてみるに、家屋の賃貸借が既に終了したとして、家屋の明渡の請求訴訟を賃貸人が提起したのに対し、賃借人が右賃貸借の終了を争い、家屋の明渡を拒む場合において、賃貸人が右訴訟の成否未定の間に訴訟外において、一応賃貸借は存続するものとし、これを前提として延滞賃料の支払の催告をすることは不法でも又不当でもない。けだし、訴訟において、第一次に正当事由による解約により賃貸借が終了したと主張しながら、訴訟外において、第一次の解約の無効を前提(条件)として賃料支払を催者することは、解除条件付催告というべきであるが、条件付単独行為でも、相手方の地位を著しく不利益にするおそれのない限り、許されない理由はない。むしろ、賃借人にとつては、賃貸借は終了していないとの自己の従来からの意向どおりに、賃貸人が動いて来たものとして、訴訟を有利に展開しうる好機を与えられたともいいうるわけであるから、訴訟係属中であるからといつて、あえて義務の履行を拒否することが正当となる理由はない。本件において、賃貸人たる控訴人が控訴を取下げ、賃貸人敗訴の原判決を確定せしめた上で、この催告をするか、又は、訴訟は一応そのままにして催告をするかは便宜と都合の問題で控訴人の自由な判断に委されたものというべきである。しかも、そのこと自体が被控訴人の地位を著しく不利益にする、ということはできない。したがつて被控訴人の(一)の主張は排斥する。

次に被控訴人の(二)の主張につき考えるに、催告期間の末日である昭和三十年十二月二十五日が日曜日であることは暦の上で明かであるが、日曜日に一般に又は神戸地方において個人間の家賃金の支払は、しないという慣習は認められないから、右催告期間は同日を以て満了するものというべきである。被控訴人の(二)の主張は、この点において既に失当であるから採用し難い。

次に被控訴人の(三)の主張につき考えるに、被控訴人が控訴人主張の賃料合計金十二万六千円の支払をしていなかつたことは被控訴人の明かに争わないところ、成立に争のない乙第二号証及び当審証人小倉正造の証言並に被控訴人本人の供述によると、被控訴人が昭和三十年十二月二十六日の夜半(前出のとおり、前記契約解除通知の書面が同日夕刻被控訴人に到達したことはその自認するところである。)に控訴人に対し、右賃料支払の手段として金額十二万六千円の小切手を提供したが、控訴人は契約解除後であることを理由として、これが受領を拒絶したので、被控訴人は翌二十七日神戸地方法務局に金十二万六千円を弁済供託したことを認めることができる。被控訴人は、被控訴人の小切手の提供は催告期間満了の翌日であるが、社会通念上さしたる遅滞があつたものとは認められないにも拘らず、控訴人は被控訴人の右期日における債務不履行を奇貨として従来意図していた契約解除を強行するに至つたもので、その明渡請求権の行使は信義則に反し、かつ権利濫用で効力はないと主張するから、その当否について考えてみるに、弁済のためにする小切手の提供は、特別の事情がない以上は、債務の本旨に従つたものというをえず、本件において特別の事情はこれを認むべき証拠がないから、右小切手による提供は債務の本旨に従つたものというをえない。さらに、それをもつて適法な口頭の提供とすることができない。けだし、前認定のように、それは解除後になされたものであるから控訴人から予め受領を拒まれたということができないからである。したがつて控訴人の受領遅滞もないわけであるから被控訴人のなした前記弁済供託は債務免脱の効力なく、のみならず、催告期間経過後といえども弁済の提供が常に許されないわけではないけれども、前認定のように、弁済提供以前に解除権がすでに行使されていたのであるから、それにより一旦発生した解除の効果が、爾後の弁済提供により遡及的に消滅することは考えられない。従つて、控訴人の明渡請求権の行使は何等信義則に反するところなく、かつ権利濫用でもない。よつて、被控訴人の(三)の主張も排斥する。

してみると、被控訴人は控訴人に対し、本件店舗を明渡すとともに、昭和二十九年四月一日より前記賃貸借契約が解除された同三十年十二月二十六日まで当事者間に争のない一カ月金六千円の割合による延滞賃料並に同月二十七日より右店舗明渡済に至るまで右賃料相当額である一カ月金六千円の割合による損害金(家屋の所有者は他人がこれを無権原で占有するときは特段の事情のない限り、その相当賃料と同額の損害を被るものと認めるを相当とする。)を支払う義務あるものというべきである。

よつて、被控訴人に対し右の各義務の履行を求める控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、右と結論において異なる原判決は取消を免れないところであるが、家屋明渡部分につき仮執行の宣言を附することは相当ではないから、この部分に関する控訴人の仮執行の宣言の申立はこれを却下することとし、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第九十条、第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山内敏彦 尾鼻輝次 三好徳郎)

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